「地雷処理は、楽しくて幸せな仕事」カンボジアで地雷処理活動を一人で始めた、元少年兵アキラさんが目指す未来

1970年代以来長年紛争下に置かれたカンボジアでは、約1000万個の地雷が埋設されたと言われています。人口の大半が生活している地域ではすでに地雷の除去は終わっているものの、カンボジア・タイ国境地域には今なお多くの地雷が埋まっており、紛争が終結してから28年以上が経った現在でも地雷による被害は絶えません。

そんなカンボジアで紛争終結後から地雷撤去活動に取り組み続けてきたアキラさん。どんな想いで活動を続けてきたのでしょうか。お話を伺いました。

 

アキラさん 。1973年生まれ(推定)。1975年から始まる内戦時代を少年兵として過ごす。戦後、一人で地雷撤去活動を始め、2008年にNGOを立ち上げる。地雷撤去活動に精力的に取り組む傍ら、地雷博物館の設立・運営、講演活動等を通じて平和普及活動にも励んでいる。

人を殺す、地雷を埋める。戦争中、私は悪いことをしました。そんな自分の人生を変えたかったのです。

1975年からクメール・ルージュ軍による支配が始まったカンボジア(*1)で私は物心つかないうちから家族から引き離され、キャンプの中でクメール・ルージュ軍の少年兵として育てられました。5歳の時にそのクメール・ルージュ軍に両親を殺され、10歳から自分の身長と同じくらいの銃を持って訓練を受けたり、地雷の埋め方について学びました。

(*1)東西冷戦の影響を受ける中で、カンボジアではポル・ポトを軍の最高幹部とする新国家「民主カンボジア」が誕生。それまでの社会的文化的価値、人間関係を根本から全て否定、破壊し、集団による農業を中心とした極端な共産主義社会を急進的に建設しようとした。軍の意向に反したと見なされた者は粛清され、無謀な米増産計画に基づき満足な食料も与えられずに過酷な労働が強制されたことにより、当時の国民700万人中170万と推定される人命が失われた。(参照:『カンボジアを知るための62章』、『東南アジアを知るための50章』)

20年を超える戦乱と国内混乱の中、私は兵士として戦い続けました。
1991年に国連の主導の下に紛争当事者間においてパリ和平協定が結ばれた後、1992年からUNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)の平和維持活動が始まりました。私はここで初めて地雷撤去活動に参加しました。

その時「自分はこれまで戦争の中で、数多くの地雷を埋めて大勢の人を傷つけ苦しめてきた。これからはそれに対する償いとして、一生懸けて地雷撤去活動をやっていこう。この国を平和にするためにこれからの自分の一生を捧げよう」と決心しました。

 

地雷処理は人気の職業で組織に入ることができなかった。だから自分で始めました。

内戦が終わってからも毎日のように、「どこそこの村で地雷が爆発した」という話を耳にし、自分の埋めた地雷のせいで傷つく人を目にしました。

地雷撤去活動をするために、当時私は国連組織などの大きな組織に入りたいと思っていました。しかし、終戦直後は職がなく、給料や福利厚生(食事や防護服の支給等)など待遇の良い大きな組織に所属して地雷を撤去する仕事は、とても人気がある職業でした。応募者の8割は参加することができないほど希望者が多く、私も残念ながらこの職を得ることはできませんでした。

どうしようか考えた末、自分一人で地雷撤去を始めることにしました。

一つの地雷が除去できれば、一人の命を救うことができます。お金は関係ない。ご飯さえ食べられれば良いと思っていました。

地雷を撤去するために、かつて自分が兵士として地雷を埋めた村に行きました。自分で埋めた地雷なので、仕組みも理解しており怖くはありませんでした。

一人で地雷処理をしていると、村の人が手伝ってくれることもありました。例えば私が地雷を見つけると、爆破処理をする前に周囲に牛や犬など動物がいないかどうか確認してくれたり、処理し終わった地雷を片付けてくれたりしました。また村の人々は、自分の住む土地が安全になることが嬉しく、私のためにご飯をふるまってくれました。

地雷を処理すると、人々が喜んでくれます。人々から感謝されます。だから楽しくて幸せな仕事だと思っています。

地雷処理の仕事は100パーセント安全な仕事とは言えません。それでも、戦時中と比べれば、全く怖くないんです。戦時中はどこからともなく銃弾が飛んできましたし、地中には地雷が埋められている、そして食べるものも満足にありませんでしたから。

 

1ドルあったら1ドルでできることをすればいい

2007年までは自分一人で、無給で地雷処理をしていましたが、2008年にNGOを立ち上げました。地雷除去活動を取り組むためのルールが整えられていく中で、今までのように資格を持た無いまま、個人で活動することができなくなったためです。2年かけて、ようやく資格を取得することができました。

現在のNGOを立ち上げる前、周りの人々からは、「あなたにはできない」と言われていました。なぜなら教育を受けたことのない私には、知識もなければ、社会的な地位もない、そしてお金も無いからです。

それでも私は、「1ドルあったら1ドルでできることをやればいい、2ドルあったら2ドルでできることをやればいい」と考えていました。自分にできることに少しずつ、少しずつ挑戦してきました。たとえ私一人の力は小さく、できることが限られているとしても、仲間ができ、みんなが集まれば大きな力になります。

何もやらないよりは、たとえ少しでもやった方がいい。何もやらなければ、世界を変えることはできないのです。

 

カンボジアから地雷をなくしたい、目標は2025年。

設立当初、自分も含めて5名しかいなかったこのNGOには、現在40名の職員が働いています。主な活動内容は、地雷撤去活動と地雷が埋設されている恐れのある村に出向いての啓発活動です。啓発活動では、地雷の恐ろしさや地雷を見つけた時の対処方法を伝えています。

 

啓発活動で配布するノートとTシャツ。 地雷の危険や地雷を見つけた時の対処法について、村の人々にわかりやすく伝えている。

1992年以来、様々な団体によって地雷や不発弾の処理が進められてきましたが、約1970㎢の土地はまだ、手つかずのまま残っています。

国連の持続可能な開発目標(SDGs)において、カンボジアにある地雷や不発弾を無くすことが、貧困に苦しむ人や住む場所の安全が脅かされている人の持つ課題を解決する手段の一つと定められています(*2)。

この目標に基づいて、カンボジアでは「2025年までに国内のすべての地雷を撤去し、2025年以降は、不発弾の処理に移行する」という方針が打ち出されました。

この目標を必ず達成し、人々が確実に安全な土地で安心して暮らせるようにしたいと強く思っています。

アキラさんが立ち上げた地雷博物館にて

そのためには、もっと多くのスタッフを雇って新チームを結成することが必要で、さらに、そのスタッフ達を雇うためにはもっと多くの資金が必要です。私たちの団体は、カンボジアの地雷処理団体の中では一番新しく、また一番小規模な団体です。資金集めには苦労することが多いのが現状ですが、1997年に立ち上げた地雷博物館(*3)から得られるわずかな収益や、アメリカ、カナダ、韓国、スイス、オーストラリア、日本等の個人や団体からサポート受けてなんとか活動を続けています。


地雷博物館にある撤去された地雷・不発弾の展示

 

今は、自分の意思で仕事を選ぶことができる。だから、いい活動をしたい。

カンボジアを平和にするために、私には今、地雷撤去活動に加えて取り組みたい活動がたくさんあります。

近年カンボジアでは国の開発が急速に進む一方で、大規模な森林伐採が行われており、多くの野生動物の命が失われています。今の子供達が大きくなった時、カンボジアに生息する動物達が見られなくなってしまうかもしれません。それはとても悲しいことです。後世の子供達にカンボジアの豊かな自然を引き継いでいくためにも、自然を守る活動に取り組みたいです。

また、カンボジアには身寄りのないお年寄りや、戦争の経験から、精神的に障がいを持つ人が沢山います。このような人々が安心して生活することができる場所を作りたいと思っています。

さらに、カンボジアの全ての村に学校を建設したいです。これまで地雷撤去活動を終えた場所に、21校の小学校を建設してきました。それでもまだまだ足りない状況です。貧しさゆえに、また学校から家が離れているがゆえに、学校に通うことができない子供達が沢山います。貧しい村では自転車も買うことができません。

教育を受けることができなければ、良い仕事を得ることはできません。私は子供の時学校に通うことができなかったので、今の子供達には教育を受けてほしいと強く願っています。

私がなぜこのように様々なことに取り組みたいと思うのかといえば、それは戦争の経験によるものです。当時は自分の仕事を選ぶことができなかった、たとえそれがどんなに悪いことであろうと、やらなければなりませんでした。今は自分の意思で仕事を選ぶことができます。なんだってできるのです。

 

世界中から地雷をなくしたい

戦争が終わった後、戦争中の出来事を思い出したり、日々自分のせいで傷つく人を見ていたので、PTSD(心的外傷後ストレス障害)で眠れない日が続きました。また、戦争中に衛生的な水が手に入らず、満足に食べることができなかったからなのか、これまでマラリアに2回、デング熱にも数回かかりました。今でも身体の痒みなど様々な病気に苦しんでいますし、戦争当時の出来事を思い出すと、眠れなくなったり、涙が止まらなくなることがあります。

これまで大変だったこと、困難だったこと、たくさんありました。それでも地雷除去は辞めませんでした。

それは、カンボジアがこれからもずっと平和であること、戦争も地雷も無い土地で、人々が安全に暮らせるようになることを願っているからです。子供達には、平和な未来が訪れてほしい。

カンボジアから地雷が無くなったら、その時はNGOのスタッフたちと一緒に地雷の被害に苦しむ他国で活動したいです。そして、世界中から地雷を無くしたい。そのためにこれからも頑張ります。

 

 

 

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#value!ハラハタ

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注釈(*2)持続可能な開発目標(SDGs)において、地雷・不発弾の処理を目標達成の手段と位置付けている項目は以下の通り。
目標1 貧困をなくそう
ターゲット1.4 2030年までに、貧困層及び脆弱層をはじめ、全ての男性及び女性が、基礎的サービスへのアクセス、土地及びその他の形態の財産に対する所有権と管理権限、相続財産、天然資源、適切な新技術、マイクロファイナンスを含む金融サービスに加え、経済的資源についても平等な権利を持つことができるように確保する。
目標11 住み続けられるまちづくりを
ターゲット11.1 2030年までに、全ての人々の、適切、安全かつ安価な住宅及び基本的サービスへのアクセスを確保し、スラムを改善する
ターゲット11.3 2030年までに、包摂的かつ持続可能な都市化を促進し、全ての国々の参加型、包摂的かつ持続可能な人間居住計画・管理の能力を強化する。
参照:Rapid integrated assessment – Cambodia SDG profile car
・国際的な持続可能な開発目標SDGsに対し、カンボジアの持続可能な開発に焦点を充てた目標であるCSDGsでは、18番目に「CAMBODIA MINE/ERW FREE(地雷や不発弾の除去)」を定めている。参照:United Nations in CambodiaCambodia Sustainable Development Goals
(*3)アキラさんが設立し運営する、「アキラ地雷博物館」。駆除した地雷を自宅に置いていたところを旅行者が訪れるようになったのが博物館の始まり。1997年に現在の前身となる博物館を設立し、以降撤去した地雷や不発弾の展示、写真、映像などを通じて国内外の多く人々に地雷の怖さ、戦争の悲惨さを訴え続けている。入館料5ドルは、学校建設費や地雷ディマイナーの給料等に充てられている。詳細:博物館公式サイ ト